江戸東京古刹巡り(3)谷中・駒込 2019/4/18
4/18都美術館、芸大での美術展に行った序に、近隣の古刹巡りを行った。先ず谷中地区の2寺、次いで隣の丘・駒込の3寺。
<<浄名院: 上野桜木町>>
上野寛永寺傍の古刹。園内には数え切れない石の地蔵さん、「八万四千体地蔵」。本殿の左側には大きな地蔵さん。江戸六地蔵の一つである深川・永代寺にあった地蔵様が明治の廃仏毀釈で廃寺になった後継としてt明治時代に造られたとのこと。
<<全生院: 谷中>>
明治時代に三舟のひとり山岡鉄舟によって創建された寺。邸内には、鉄舟や明治時代の落語家三遊亭圓朝の墓があった。何故か金ぴかの大きな観音像が見られた。
この後、坂を下り、団子坂を上り駒込に。
<<吉祥寺: 本駒込>>
元々は太田道灌が江戸城に創建したもので、江戸城拡張によりこの地に移転したもの。振袖大火の「お吉、吉三」でも有名。江戸の時代には湯島昌平黌と並び僧侶養成の学寮を持った大寺院だったとのこと。この学寮が駒澤大学に繋がるという。建物としては本郷通りの山門や、本堂前の広い庭に江戸時代創建の経蔵が興味深い。学生時代この近くに下宿していたのだが、参詣した記憶はない。
<<南谷寺: 本駒込>>
江戸五色不動の一つの目赤不動で有名。元々は伊賀の赤目不動に繋がるそうだが、既に江戸に存在していた目黒や目白不動にちなみ、目赤不動と三代将軍家光により改名させられたとのこと。交通量の多い本郷通り傍の、決して広く無い境内の右手に目赤不動堂がみられた。
<<光源寺: 向丘>>
奈良長谷寺の巨大な観音像に心を打たれた江戸日本橋の商人が発願した駒込大観音が有名。特異な建物の中に約8mの観音様。観音様は太平洋戦争で焼失したが、25年前に再建されたとのこと。
以上でこの日の散策は終了、歩行距離約4㎞。
<<浄名院: 上野桜木町>>
上野寛永寺傍の古刹。園内には数え切れない石の地蔵さん、「八万四千体地蔵」。本殿の左側には大きな地蔵さん。江戸六地蔵の一つである深川・永代寺にあった地蔵様が明治の廃仏毀釈で廃寺になった後継としてt明治時代に造られたとのこと。
<<全生院: 谷中>>
明治時代に三舟のひとり山岡鉄舟によって創建された寺。邸内には、鉄舟や明治時代の落語家三遊亭圓朝の墓があった。何故か金ぴかの大きな観音像が見られた。
この後、坂を下り、団子坂を上り駒込に。
<<吉祥寺: 本駒込>>
元々は太田道灌が江戸城に創建したもので、江戸城拡張によりこの地に移転したもの。振袖大火の「お吉、吉三」でも有名。江戸の時代には湯島昌平黌と並び僧侶養成の学寮を持った大寺院だったとのこと。この学寮が駒澤大学に繋がるという。建物としては本郷通りの山門や、本堂前の広い庭に江戸時代創建の経蔵が興味深い。学生時代この近くに下宿していたのだが、参詣した記憶はない。
<<南谷寺: 本駒込>>
江戸五色不動の一つの目赤不動で有名。元々は伊賀の赤目不動に繋がるそうだが、既に江戸に存在していた目黒や目白不動にちなみ、目赤不動と三代将軍家光により改名させられたとのこと。交通量の多い本郷通り傍の、決して広く無い境内の右手に目赤不動堂がみられた。
<<光源寺: 向丘>>
奈良長谷寺の巨大な観音像に心を打たれた江戸日本橋の商人が発願した駒込大観音が有名。特異な建物の中に約8mの観音様。観音様は太平洋戦争で焼失したが、25年前に再建されたとのこと。
以上でこの日の散策は終了、歩行距離約4㎞。










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