バルト三カ国とヘルシンキ旅行 (2)エストニア
これから三カ国とヘルシンキで見たこと・感じた事を取り上げたい。観点は、ガイド本には取り上げられていない光景や自分が感じたこれらの国の様子の紹介。先ず第一回は、エストニアについて。(写真はクリックすれば拡大します)
(1) 首都 タリン
タリンは二日目、六、七日目の三泊、ホテルは旧市街を囲む城壁のすぐ外の好位置。観光は七日目は、午前中は市内観光、午後はオプショナルツアが予定されていたが、人数が集まらず中止(予定では、「ビール製造所の見学」だったので、元々参加する積りはなかった)で、自由行動。
午前の前半は予定表には無い、市の東部にある「ガドリオルク公園」と「歌の広場」に。ガドリオルク公園は、東京の上野公園のように美術館が数館集まっており、午後の自由行動で訪れる予定だったが、この日は月曜日で全て休館とのことで諦めた。公園内のイケメン衛兵が守っていた大統領官邸では、鉄格子の門も無く、奇麗な庭に面した建物の入口ドア傍で、官邸を警護している衛兵と、その直ぐ傍まで近づけるのには少々驚き。次は、「歌の広場」という広大な野外音楽堂(これは別途別の括りで報告予定)。後半は、ガイドブックで紹介されている旧市街観光。
午後の自由行動では、美術館が休館なので旧市街を離れて、鉄道のタリン駅や城壁の外側を一人で歩いた。
< タリン市街の建物等 >
< 自由行動でのスナップ写真 >
特にエリツインの顕彰碑には驚き。この顕彰碑、エストニア国民の寄付金で設置されたとのことだが、押さえられていたにもかかわらず、独立を認めてくれたことに対するお礼か。我が国と韓国との関係を見ていると考えられない。この国人の心の深さを感じた。
(2) 大学の街 タルトウ
タルトウは、「エストニアの精神的首都」と地元の人が称している大学の街。見学したのは、市庁舎・ラエコヤ広場・ピサの斜塔程ではないが傾いて立っている「バークレイの家」(タルトウ美術館)・聖ヨハネ教会・タルトウ大学・未だに今後も完成しない大聖堂とその東側は改築されたタルトウ大学博物館・意味が理解できなかった天使の橋と悪魔の橋・世界遺産の一部である旧天文台などの外観を見ながら散策。ロシア帝国の支配下では木造以外の建築を禁じられていたので18世紀の大火災で一度町は消失。その後許されて石造りの三階建ての建物が並んだ整然とした街並み。確かに、街は、大学の街の雰囲気を醸し出している。
< タルトウ市街で見かけた光景 >
(3) 夏の保養地 パルヌ
パルヌは、「エストニアの夏の首都」と言われ、泥治療で有名なリゾートタウン。訪れた日は、リガからタリンへ移動途中で、好天が続いたこの旅の中で唯一当に小雨でも降りそうな曇りの日。この街では現地ガイドが居なく添乗員の引率。今回初めて知ったのだが、ツア会社からの日程表で、「○○観光」と書いてあれば現地ガイド付き、「○○散策」とあれば現地ガイド無しで添乗員の引率とのこと。観光したのは、案内書にない泥治療で有名なスパとその裏手の海水浴場、旧市街の城門の一つでタリンから船で到着した商人が入城したという「タリン門」・ロシアの女帝エリザベートが資金を出して建築されたエリザベート教会等。途中、「Karaoke」なる看板を出したレストランや、昔活躍していただろう超狭軌の蒸気機関車の野晒で展示されていた。
< パルヌ市街で見かけた光景 >
(4)街道沿いにみた景色
添乗員の説明では、バルト三カ国の最高峰は318mの山(丘?)さそうで、確かにどこまで行っても所謂山脈を見ることが出来ず、広い空が続いていた。国土利用は耕地が10%、森林が30%とのこと。残りは都市部だったりするが、車窓からは日本で言う耕作放棄地のような荒れ地が目についた。比較的大規模な農家が平原の中にポツン、ポツンと孤立して見られ、町や村などを形成する集落は比較的少ないように感じた。時期的に冬が近いので農閑期の様で耕作地は冷え冷えとしていた。尚三カ国とも自動車専用の高速道路は未整備で、自動車は、一般道を100km/h近い速度で飛ばし、人家密集地に近づくと色んな工夫(道を曲げる、凸凹を付ける等)で速度を落とす仕組みになっていた。EUとしてのE○○号の道路認定も一般道に付いていた。
< 車窓からの風景 >
-------(続く)-------
(1) 首都 タリン
タリンは二日目、六、七日目の三泊、ホテルは旧市街を囲む城壁のすぐ外の好位置。観光は七日目は、午前中は市内観光、午後はオプショナルツアが予定されていたが、人数が集まらず中止(予定では、「ビール製造所の見学」だったので、元々参加する積りはなかった)で、自由行動。
午前の前半は予定表には無い、市の東部にある「ガドリオルク公園」と「歌の広場」に。ガドリオルク公園は、東京の上野公園のように美術館が数館集まっており、午後の自由行動で訪れる予定だったが、この日は月曜日で全て休館とのことで諦めた。公園内のイケメン衛兵が守っていた大統領官邸では、鉄格子の門も無く、奇麗な庭に面した建物の入口ドア傍で、官邸を警護している衛兵と、その直ぐ傍まで近づけるのには少々驚き。次は、「歌の広場」という広大な野外音楽堂(これは別途別の括りで報告予定)。後半は、ガイドブックで紹介されている旧市街観光。
午後の自由行動では、美術館が休館なので旧市街を離れて、鉄道のタリン駅や城壁の外側を一人で歩いた。
< タリン市街の建物等 >
< 自由行動でのスナップ写真 >
特にエリツインの顕彰碑には驚き。この顕彰碑、エストニア国民の寄付金で設置されたとのことだが、押さえられていたにもかかわらず、独立を認めてくれたことに対するお礼か。我が国と韓国との関係を見ていると考えられない。この国人の心の深さを感じた。
(2) 大学の街 タルトウ
タルトウは、「エストニアの精神的首都」と地元の人が称している大学の街。見学したのは、市庁舎・ラエコヤ広場・ピサの斜塔程ではないが傾いて立っている「バークレイの家」(タルトウ美術館)・聖ヨハネ教会・タルトウ大学・未だに今後も完成しない大聖堂とその東側は改築されたタルトウ大学博物館・意味が理解できなかった天使の橋と悪魔の橋・世界遺産の一部である旧天文台などの外観を見ながら散策。ロシア帝国の支配下では木造以外の建築を禁じられていたので18世紀の大火災で一度町は消失。その後許されて石造りの三階建ての建物が並んだ整然とした街並み。確かに、街は、大学の街の雰囲気を醸し出している。
< タルトウ市街で見かけた光景 >
(3) 夏の保養地 パルヌ
パルヌは、「エストニアの夏の首都」と言われ、泥治療で有名なリゾートタウン。訪れた日は、リガからタリンへ移動途中で、好天が続いたこの旅の中で唯一当に小雨でも降りそうな曇りの日。この街では現地ガイドが居なく添乗員の引率。今回初めて知ったのだが、ツア会社からの日程表で、「○○観光」と書いてあれば現地ガイド付き、「○○散策」とあれば現地ガイド無しで添乗員の引率とのこと。観光したのは、案内書にない泥治療で有名なスパとその裏手の海水浴場、旧市街の城門の一つでタリンから船で到着した商人が入城したという「タリン門」・ロシアの女帝エリザベートが資金を出して建築されたエリザベート教会等。途中、「Karaoke」なる看板を出したレストランや、昔活躍していただろう超狭軌の蒸気機関車の野晒で展示されていた。
< パルヌ市街で見かけた光景 >
(4)街道沿いにみた景色
添乗員の説明では、バルト三カ国の最高峰は318mの山(丘?)さそうで、確かにどこまで行っても所謂山脈を見ることが出来ず、広い空が続いていた。国土利用は耕地が10%、森林が30%とのこと。残りは都市部だったりするが、車窓からは日本で言う耕作放棄地のような荒れ地が目についた。比較的大規模な農家が平原の中にポツン、ポツンと孤立して見られ、町や村などを形成する集落は比較的少ないように感じた。時期的に冬が近いので農閑期の様で耕作地は冷え冷えとしていた。尚三カ国とも自動車専用の高速道路は未整備で、自動車は、一般道を100km/h近い速度で飛ばし、人家密集地に近づくと色んな工夫(道を曲げる、凸凹を付ける等)で速度を落とす仕組みになっていた。EUとしてのE○○号の道路認定も一般道に付いていた。
< 車窓からの風景 >
-------(続く)-------


















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