南千住から北千住散策(2012年12月12日)
都心に出かけた序に、南千住駅から北千住駅までの散策に出かけた。先月訪れた世田谷松蔭神社で見かけた吉田松陰の墓にあった説明では、処刑は小塚原で行われ埋葬されたが弟子が掘起こし、松蔭神社に再埋葬したとあった。そのときから一度この地を訪れてみようと思っていた。
南千住駅を降りると直ぐ前が、刑場跡の首切地蔵(延命地蔵尊)と回向院。以前訪れた両国の回向院の別院だったそうだが、今は独立して豊国山(ほうこくさん)回向院、小塚原回向院というらしい。ここには、安政の大獄での処刑者の墓や、解体新書を翻訳する引鉄になった腑分けの行われた場所として記憶にあった。
次に訪れたのはスサノウ(素盞雄)神社。以前高崎にあるスサノウ(進雄)神社に参拝したことがあるが、同じスサノウでも漢字が異なる。この神社は、八坂神社とか祇園神社と同じ系統の神を祭っているようだ。境内には、悪霊払いか形代(かたしろ)や子育て祈願の絵馬が多数見られた。国道側の入口を入ったところに参道の両側に台座のみがあったが、さて何だったのだろうか?
この神社の直ぐ傍に千住大橋。この橋には単に大橋の名盤が飾られている。この辺では大橋と言えば千住大橋なのだろう。この橋を渡った先の大橋公園が芭蕉「奥の細道」の出発地。深川からの船をここで下りて東北に旅立った場所。
足立市場の前の右側の細い道が旧日光街道。この辺りはやっちゃ場(青果市場)の跡とのことで昔の屋並びが表示されていた。
右手に北千住駅を見ながら更に進むと、宿場町通り。
道の両側に旧家が残されていた(伝馬屋敷(横山家)と絵馬屋(吉田家))。見た目には昭和の時代の家のようにみえるが、これを持って宿場の残された風情とは如何。
その先の交差点にはこれも昭和の風情の建物。私が子供の頃よく見かけた代表的民家。さらに進むと、右手の奥に長屋門。今も利用されている病院の建物。懐かしい感じの建物。当に昭和。
この近くの、道路の左端に水戸街道と下妻街道の分岐点を示す道標。別の道を北千住駅に戻っていると、前方から防災頭巾を被った小学生の一団がぞろぞろと神社の境内に集まっていた。そこは氷川神社とあった。小学生の一団は、近くの小学校の生徒のようだ。この氷川神社の境内、そんなに広くないのに。校庭よりかはここの方が安全なのだろうか。この日は、偶々北朝鮮が人工衛星打上げと称したミサイルの発射を行った日。まさかこのための避難ではなく、通常の避難訓練だろう。
その先を左に曲がると北千住駅。その前に少し南千住駅方向に戻ると、森鴎外の父が開業していたという医院の跡と言うことだが看板のみ。約1時間半の散策だが、江戸というより昭和が思い出される町だったようだ。
南千住駅を降りると直ぐ前が、刑場跡の首切地蔵(延命地蔵尊)と回向院。以前訪れた両国の回向院の別院だったそうだが、今は独立して豊国山(ほうこくさん)回向院、小塚原回向院というらしい。ここには、安政の大獄での処刑者の墓や、解体新書を翻訳する引鉄になった腑分けの行われた場所として記憶にあった。
次に訪れたのはスサノウ(素盞雄)神社。以前高崎にあるスサノウ(進雄)神社に参拝したことがあるが、同じスサノウでも漢字が異なる。この神社は、八坂神社とか祇園神社と同じ系統の神を祭っているようだ。境内には、悪霊払いか形代(かたしろ)や子育て祈願の絵馬が多数見られた。国道側の入口を入ったところに参道の両側に台座のみがあったが、さて何だったのだろうか?
この神社の直ぐ傍に千住大橋。この橋には単に大橋の名盤が飾られている。この辺では大橋と言えば千住大橋なのだろう。この橋を渡った先の大橋公園が芭蕉「奥の細道」の出発地。深川からの船をここで下りて東北に旅立った場所。
足立市場の前の右側の細い道が旧日光街道。この辺りはやっちゃ場(青果市場)の跡とのことで昔の屋並びが表示されていた。
右手に北千住駅を見ながら更に進むと、宿場町通り。
道の両側に旧家が残されていた(伝馬屋敷(横山家)と絵馬屋(吉田家))。見た目には昭和の時代の家のようにみえるが、これを持って宿場の残された風情とは如何。
その先の交差点にはこれも昭和の風情の建物。私が子供の頃よく見かけた代表的民家。さらに進むと、右手の奥に長屋門。今も利用されている病院の建物。懐かしい感じの建物。当に昭和。
この近くの、道路の左端に水戸街道と下妻街道の分岐点を示す道標。別の道を北千住駅に戻っていると、前方から防災頭巾を被った小学生の一団がぞろぞろと神社の境内に集まっていた。そこは氷川神社とあった。小学生の一団は、近くの小学校の生徒のようだ。この氷川神社の境内、そんなに広くないのに。校庭よりかはここの方が安全なのだろうか。この日は、偶々北朝鮮が人工衛星打上げと称したミサイルの発射を行った日。まさかこのための避難ではなく、通常の避難訓練だろう。
その先を左に曲がると北千住駅。その前に少し南千住駅方向に戻ると、森鴎外の父が開業していたという医院の跡と言うことだが看板のみ。約1時間半の散策だが、江戸というより昭和が思い出される町だったようだ。








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