新横浜から大分まで鉄道の旅
急遽、法事で大分に行く必要が生じた。飛行機にするかそれとも鉄道にするか思案。飛行機の場合には予約は出来ないが、当日空席があれば60歳以上だと12,000円で大分まで飛べるらしい。「シニア空割」という制度。ネットで空席状況を調べると、出かける日は十分に空席があるようだ。ここまで調べたが、結局、低気圧が近づいているようで、揺れるのが嫌という理由を付け、新幹線を利用することとした。
半世紀ほど前、故郷大分の片田舎(と言っても一応市だが)から上京するときや、お盆に帰省するときには急行「高千穂」か特急「みずほ」(?)で24時間近くかかった。だが今は、新幹線利用で7時間弱で大分に着くことが可能。最近10年間程大分には行ってないので、子供の頃良く乗った日豊本線の景色を見るのも楽しみ。
予定としては、新横浜駅10:29発「のぞみ25号」⇒小倉駅114:57着で5:09発「特急ソニック31号」に乗り継ぎ⇒大分駅16:36着。これだと18:00からの法事に十分間に合うので、このスケジュールで行くことにした。
新横浜駅に、着いたのが9時50分。40分近く待たねばならないが、時刻表を調べると、新横浜発9:59の「のぞみ219号」であれば、新大阪で継ぎ時間6分で、「レールスターひかり555号」に乗れ、小倉には14:49に着き、予定より8分早く着くので、乗換え時間が十分に取れることが分った。急遽乗る列車を変更。乗換えは一度増えるが、多分この組み合わせの方が空席は多いだろうと予想。
「のぞみ219号」はひかりに比べて自由席車両が少ないのだが、8割方の混雑で自由席に楽に座ることが出来た。東海道新幹線には年に数回乗るので、窓側に座って外の景色を見ることも無いが、山陽新幹線は久し振りなので、窓側に座って外の景色を堪能したいと思っていた。新大阪駅でアタフタと昼食のサンドイッチを買い込み、「レールスターひかり555号」に乗り換えた。案の定、このひかりは5割以下の混み具合。行きは海側、帰りは山側と決めて海側に席を取った。取ったのは良いが山陽新幹線はトンネルの多いことを忘れていた。途中広島駅近くで新しい(?)広島球場、昔夜行急行で帰省のとき早朝暗いときに眼にした赤々と昼間のように輝いていたコンビナートの化学工場を見ているうちに、新下関に到着。
関門海峡が見えると期待していたが、直ぐに関門トンネル、抜けるともう小倉駅。小倉駅では、日豊本線特急ソニックに乗り換え。東海道新幹線が出来るまで、博多から小倉経由大分まで「急行(だったと思う)ひかり」が走っていたが、新幹線にその名を譲った。「ひかり」から音(「ソニック」)になった、相変らず速さを誇っているようだ。車内は8割方の混み具合。JR九州の車両は特徴のある姿をしている。ソニックの内部は床が木製、網棚の荷物置き場も飛行機のようですっきり。
小倉駅から前の席に座っていた親子連れは、北九州市の私立中学を受験した帰りのようだ。何と特急で約50分の大分県に入った駅で降りた。若し合格したら、こんな遠いところから通うのかと他人事だが心配。我が孫も昨年私立中学を受験、無事合格したが電車で通学。毎朝婿殿と一緒に通っているようだ。近くても娘は心配して婿殿に付き合せている。親は心配にはならないのだろうかと要らぬ心配。途中懐かしい築城の自衛隊の飛行場、海岸際の火力発電所、中津駅近く福岡と大分の県境の山国川、双葉山の出生地、そして高校時代に友人と自転車で訪れた宇佐神宮など懐かしい景色。
この特急は我が故郷の駅にも停車。懐かしくて少々おセンチに。半世紀程前、この駅で故郷に残る親友の見送りを受けた。そのとき、親友の眼に涙が光っていたのが今でも思い出す。その親友とも、いまでは音信不通。元気でいるのだろうか。
国東半島の付根を全速力で抜けると、別府湾の眺望が眼に入る。温都別府らしく温泉の湯気がアッチコッチから沸いていた。これも懐かしい景色。昔は線路から鉄筋コンクリートで出来た大仏さんが見えたのだが今は無い。先日の読売新聞に別府の大仏のことが紹介されていたが、取り壊されていた由。知らなかった。
大分と別府を結ぶ道路は、昔は別大国道と呼ばれ片側確か一車線で、山側に大分交通の路面電車が走っていたのだが、これも今は無い。確か台風か何かで線路が土砂崩れで埋まって回復できずに廃線になったらしい。
今は海岸を埋め立て片側二車線三車線の広い道路になっていた。そういえば、中津駅、宇佐駅そして杵築駅では軽便鉄道があったのだが、その面影も今は無い。野猿で有名な高崎山裾野のを抜けると大分市。予定通りに大分駅に到着。懐かしい風景を満喫できた。
半世紀ほど前、故郷大分の片田舎(と言っても一応市だが)から上京するときや、お盆に帰省するときには急行「高千穂」か特急「みずほ」(?)で24時間近くかかった。だが今は、新幹線利用で7時間弱で大分に着くことが可能。最近10年間程大分には行ってないので、子供の頃良く乗った日豊本線の景色を見るのも楽しみ。
予定としては、新横浜駅10:29発「のぞみ25号」⇒小倉駅114:57着で5:09発「特急ソニック31号」に乗り継ぎ⇒大分駅16:36着。これだと18:00からの法事に十分間に合うので、このスケジュールで行くことにした。
新横浜駅に、着いたのが9時50分。40分近く待たねばならないが、時刻表を調べると、新横浜発9:59の「のぞみ219号」であれば、新大阪で継ぎ時間6分で、「レールスターひかり555号」に乗れ、小倉には14:49に着き、予定より8分早く着くので、乗換え時間が十分に取れることが分った。急遽乗る列車を変更。乗換えは一度増えるが、多分この組み合わせの方が空席は多いだろうと予想。
「のぞみ219号」はひかりに比べて自由席車両が少ないのだが、8割方の混雑で自由席に楽に座ることが出来た。東海道新幹線には年に数回乗るので、窓側に座って外の景色を見ることも無いが、山陽新幹線は久し振りなので、窓側に座って外の景色を堪能したいと思っていた。新大阪駅でアタフタと昼食のサンドイッチを買い込み、「レールスターひかり555号」に乗り換えた。案の定、このひかりは5割以下の混み具合。行きは海側、帰りは山側と決めて海側に席を取った。取ったのは良いが山陽新幹線はトンネルの多いことを忘れていた。途中広島駅近くで新しい(?)広島球場、昔夜行急行で帰省のとき早朝暗いときに眼にした赤々と昼間のように輝いていたコンビナートの化学工場を見ているうちに、新下関に到着。
関門海峡が見えると期待していたが、直ぐに関門トンネル、抜けるともう小倉駅。小倉駅では、日豊本線特急ソニックに乗り換え。東海道新幹線が出来るまで、博多から小倉経由大分まで「急行(だったと思う)ひかり」が走っていたが、新幹線にその名を譲った。「ひかり」から音(「ソニック」)になった、相変らず速さを誇っているようだ。車内は8割方の混み具合。JR九州の車両は特徴のある姿をしている。ソニックの内部は床が木製、網棚の荷物置き場も飛行機のようですっきり。
小倉駅から前の席に座っていた親子連れは、北九州市の私立中学を受験した帰りのようだ。何と特急で約50分の大分県に入った駅で降りた。若し合格したら、こんな遠いところから通うのかと他人事だが心配。我が孫も昨年私立中学を受験、無事合格したが電車で通学。毎朝婿殿と一緒に通っているようだ。近くても娘は心配して婿殿に付き合せている。親は心配にはならないのだろうかと要らぬ心配。途中懐かしい築城の自衛隊の飛行場、海岸際の火力発電所、中津駅近く福岡と大分の県境の山国川、双葉山の出生地、そして高校時代に友人と自転車で訪れた宇佐神宮など懐かしい景色。
この特急は我が故郷の駅にも停車。懐かしくて少々おセンチに。半世紀程前、この駅で故郷に残る親友の見送りを受けた。そのとき、親友の眼に涙が光っていたのが今でも思い出す。その親友とも、いまでは音信不通。元気でいるのだろうか。
国東半島の付根を全速力で抜けると、別府湾の眺望が眼に入る。温都別府らしく温泉の湯気がアッチコッチから沸いていた。これも懐かしい景色。昔は線路から鉄筋コンクリートで出来た大仏さんが見えたのだが今は無い。先日の読売新聞に別府の大仏のことが紹介されていたが、取り壊されていた由。知らなかった。
大分と別府を結ぶ道路は、昔は別大国道と呼ばれ片側確か一車線で、山側に大分交通の路面電車が走っていたのだが、これも今は無い。確か台風か何かで線路が土砂崩れで埋まって回復できずに廃線になったらしい。
今は海岸を埋め立て片側二車線三車線の広い道路になっていた。そういえば、中津駅、宇佐駅そして杵築駅では軽便鉄道があったのだが、その面影も今は無い。野猿で有名な高崎山裾野のを抜けると大分市。予定通りに大分駅に到着。懐かしい風景を満喫できた。




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