時代小説での訴えとは:「藤沢周平全集第二十巻(風の果て、蝉しぐれ)」を読んで

「藤沢周平全集第二十巻(風の果て、蝉しぐれ)」   藤沢周平著 文藝春秋 1992年刊

 この著者のもので、初めて読む長編時代小説。「風の果て」と、既に映画化された(と思う)「蝉しぐれ」。前者は、昭和58年から59年にかけて週刊朝日に連載、後者は、昭和61年から62年にかけて山形新聞に連載されたもの。どちらも東北の弱小藩での権力争いが題材。前者は、争いに勝ち駆け上がった武士の話、後者は政争に利用され、その中で逞しく生き残った下級武士の話。読んで面白い。両者共に登場人物が非常に多く、中々頭に入り切れず苦労したので、外国の小説を読むときのように、登場人物の名前をメモして読んだ。この方法は忙しいときに読むには不都合だが、今の自分のように十分時間のある人間には良い方法だと思う。
 確かに読んで楽しいのだが、著者がこの小説で何を訴えようとしているのか、いまひとつピンと来ない。何のために小説を読むのかといえば、疑似体験だと思っている。体験の何かの舞台が偶々江戸時代であったというだけで、人間の本性は変わらないであろうと思っているのだが。さてさて何を疑似体験できたか分らない。読んで楽しければそれで良いのかな。娯楽時代小説とも言われるのでそれで良いのだろう。

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